建築家の妻へようこそ
建築家の妻
(通称:建妻_けんつま)
建築家である夫の口癖や言論を忘れないようにするために(役に立つか立たないかはわかりません)ブログに忘備録として書き残しています。


建築家である夫は、様々な建物の設計をしており、応援をしたいと思っています。非常に納得のいく意見もあります。


ただ結婚できない男も建築家ですし、もちろん。そこまで偏屈ではないですが。


建築家という職能。
建築家という人間。
建築家という生活習慣、思考の癖。


はものすごいです。


こだわりや、執着心。感覚的なセンス。
特殊な人間の才能ではないかと思う反面。
それが、逆に怖くもあります。


建築家の妻である、みなさま。

建築家の友人である、みなさま。

建築家の恋人である、みなさま。


に対して

心より敬意を示して

届けたい「言葉」をお伝えできればと思っています。

一級建築士の謎めいた試験・制度_机上の論だけではなく建築論を深めた者にのみ 建築家としての称号が与えられる

一級建築士という資格に信頼が持てますか?
一級建築士という資格がいかに、実態から乖離しているか。本当に知識のある忙しい社会人はなかなか勉強時間がとれない(言い訳ですが)と言って、ぼやいており
建築系の大学を出たばかりの、建築知識を十分に有していない学生が、時間があれば合格できる一級建築士試験を受験し、いとも簡単に合格していると噂に聞きます。

建築経験の乏しい社会人1年目の人間が、会社の指令にしたがって、大規模な建築の設計を行なうこともある。
という悲しい現実。


建築士という資格の意味、価値、信頼はどれほどのものなのでしょうか。
最近建築士法の改正が行われる予定で、知識の少ない学生にも一級建築士となる門が開かれているのです。
なんの知識も責任もなく。限られた情報の試験にたまたま合格しただけの人間も
責任のある建築を担う人間になることができるのです。
しかし

建築とはそういった

机上の論だけで
図られるものなのでしょうか。
建築業界とは稀に見る怠惰な業界で(全世界的に見る)

  • 何百年も、大した進歩もない
  • イノベーションもない
  • 施工技術の進歩もない
  • なんの技術革新も行われない

業界なのです。
だからこそ、さらなる怠惰の業界に舵を取るべく。
日本建築士会の代表となる方は
怠惰の最たるもので
今後の建築界の未来を考えることをせず。
目の前の利益のみを追求している。
建築における試験など、海外では珍しく
建築教育を受け卒業する=建築家としての資格を認定される。

そう机上の論だけではない。建築論を深めた者にのみ
建築家としての称号が与えられるべきである。
この改正は
単なる資格競争の激化をもたらすものでしかないし。
資格学校という意味のない、学校の利益享受の構図が容易に伺える。
なぜ、学生にまで
資格の勉強を強要するのか
資格のお金を奪おうとするのか
資格が時間を奪おうとするのか
建築の時間を奪おうとするのか
学生の時間が
もっとも建築について
深く考えるための
良好な時間であるのに
なぜ
建築士会のお偉い方は
その未来をつぶすのか
それは
大手建築設計事務所の弱みでもあるのかもしれない
大した才能もない学生が
自社の設計をしてしまう。(そういう学生しかいない2番手以下の設計事務所)
大した建物もできず、模倣しかできない。
新しい価値を生み出すことができない建築設計事務所はその、存在意義がない。
設計をする意味がない。
一級建築士という制度がなくなればいい。

経験や実績に基づく、カーペンターのような
本当に良い建築を生み出すことができた人にのみ、その資格を与えるべきである。


そこまで、建築士の量は求められていない。
その事実を知りながら、経済活動として供給を止められない。
それは
食えない資格として、大量に供給され続ける
無能な三流一級建築士の害とも言える。
「腐ったリンゴは、捨てなければ」
「新鮮なリンゴを、腐らさないために」

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